2012年御翼4月号その3

妻を愛し、夫を敬う  マケリゴット宣教師

 マケリゴット宣教師は第一子が生まれるとき、どうすれば良い父親になれるか、探求し始めた。たくさんの本の中から出会った言葉が、“The greatest thing a man can do for his children is to love their mother. ”(「一人の男として、自分の子どもへの最大の幸せ、最大の益をもたらすこと は、その子どもの母親を愛することです」)であった。家庭の中心は、親子関係ではなく、夫婦関係 にある。夫が妻を愛することで、その副産物的に子どもは幸せになるのだ。妻を愛するとは、妻を尊 敬し、励まし、妻を赦し、感謝することである。
 確かに、聖書は男に対して、「妻を自分のように愛しなさい」(エフェソ5:33)とある。一方、「 妻は夫を敬いなさい」(同)とある。なぜ「お互いに愛し合いなさい」ではなく、「夫は妻を愛し、 妻は夫を敬え」なのだろうか。それは、男性と女性の性質が違うからだとマケリゴット先生は言う。 男性にとって、生涯に渡って一人の女性を愛するというのは難しいことである。一方、女性にとって は、一人の男性を献身的に一生涯かけて愛することは憧れであり、さほど難しいことではないのだ。 だから、聖書のどこにも、妻に対し夫を愛せよという命令はない。妻にとって困難なことは、生涯、 夫を敬うことだという。そこで聖書には、それぞれの弱点に対して命令している。妻は夫から見て、 愛されやすい女性でいるように心がけることは大切であり、これら男性と女性の性質の違いを知るこ とは、結婚生活を幸せにする上で大きな助けとなる。
 夫も妻も、それぞれ弱点があり、不完全で過ちを犯す存在なのだ。大切なことは、過ちがあったと きに、互いに赦し合うことである。「赦す」とは、相手の罪を忘れることではなく、相手との愛の関 係が、罪のために切断されない状態を言うのだ。「許しは、なされた行為を無視することを意味しな い。許しは、新しい出発、新しい始まりに必要な雰囲気を作りだす『触媒』なのだ」とキング牧師は 言っている。そして、相手を赦せるのは、イエス様がどんな人のためにも十字架に掛かってくださっ たことを知った時である。神に赦されなければならないのは、誰もが同じだからである。自分も罪人 だと認められることが、幸せへの第一歩なのだ。

バックナンバーはこちら HOME